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2000.02

OS X:第一印象

Apple はすばらしいデモをリリースするつもりのようだ。すべてのすばらしいデモのように、OS X はその最初の評判を減じるような異質なディテール ─ あなたが今作業しているファイルの名称のような ─ を明らかにした。私は決められた期日にこれを間に合わせたデザイナーたちのすばらしい仕事を賞賛する… もし実際の OS X がこの見せかけのデモ以上のものになるのなら。それには、まだ長い道のりがある。今 OS X は多くの面で、驚くほど私にかつての「新しい Coke」を連想させる。新しい Coke ─ 来るべき若者世代にアピールするため念入りに開発された商品であり、しかしそれは20世紀最大のマーケティングの禍事となる運命にあった。

新しい Coke は、Coca-Cola 社の面目を丸つぶれにした。なぜなら彼らはデモと商品の違いを認識していなかったからだ。より甘く単純な味の Pepsi は、一般人を対象とした試飲テストによって Coke をうち負かしていた。そこで Coca-Cola 社はより甘く単純な味の Coke を作り、同じような試飲テストを行ってみた。Coca-Cola が認識できなかったのは、人々が試飲場でちびちびと飲んだ時の味に対する印象が、同じ人間が12から16オンスを飲んだ時のものとは異なるということだった。Coca-Cola 社がこのより甘く単純な商品を発売すると、人々は皆離れていった。人々は、Coca-Cola 社が長い間愛されてきた古い商品の製造を中止したことに反発した。Coca-Cola 社は、忠実な Coca-Cola 愛飲者たちの神聖を奪うことによって彼らがどんな反応が起こすのかについて、まったく予測できていなかったのだ。

Apple の状況はそれとは若干異なるが、それほど遠くもない。OS X はまだ多くの人によって試飲されていない。たったひとりの人間 ─ Steve Jobs によって試飲されただけだ。多くの一般人と同じように、彼はインターフェイスについて深く飲み込んでいるわけではなく、最初の泡の部分に触れているにすぎない。もし現在の状態で OS X が出荷されれば、かつて Coke が Pepsi に顧客を奪われてしまったのと同じ経験をすることになるだろう。幸いなことに、リリースまでにはまだ1年ある。これまでにできあがっている良い部分の上に築いていくことができるのだ。

OS X は美しい。もしまだ見たことがないなら、ひと目見てもらいたい。新しい Aqua のクールでクリーンなアピアランスは、Microsoft がやりはじめ、すぐに Macintosh も追従した重苦しい3Dの金属的な外観とは対照的である。

OS X では、半透明のダイアログボックスがウインドウと直接連係して表示される。これは現在の、「変更を保存しますか?」という分かりづらい文句とともに突然画面中央に表示される名称未設定ダイアログによる混乱を終息させるものだ。半透明感は滑らかで、文字の判読性を損なう場合もあるが、決まった内容のダイアログにおいては問題ないだろう。しかし「あなたはこのファイルを“FOOT8ALL”という名称で保存しようとしていますが、よろしいですか?」といった独特なダイアログの場合には問題があるかもしれない。ユーザは、縦縞模様のために「8」と「B」を読み間違えたとしてもそれに気づくだろうか?私は半透明を支持するが、開発者はこれを状況によってオフにするべきだ。Apple はそういった機能を実装するための明確なガイドラインを提供すべきである。そして、ユーザが好みに応じて初期設定で半透明感をオフにできるようにもすべきである。

私はまた、マウスオーバーで「閉じる、ドック、ズーム」のシンボルを表示する“ガムドロップ”ウィンドウコントロールのアイデアも気に入っている。

水のように澄んだ青の新しいエレベータ(スクロールボックス)は、視覚的に美しいだけでなく、エレベータの溝とも強いコントラストを保っている。これは、ユーザがウィンドウに表示しきれない部分のためにスクロールが必要だということに気づかず、表示されている部分だけがすべてなのだと勘違いする問題を解決する手助けになるだろう。

Windows においてはクローズボックスのある場所にあるコントロールをクリックすることで切り替わる新しいシングルウィンドウ・モードは、重なり合ったウィンドウのために混乱している人々にとっては便利かもしれない。

ドロップシャドウの追加は奥行きの感覚を増している。(しかし Apple はこの感覚を強めるために、後ろ側のウィンドウの輝度やコントラストを低くするべきである)。

PDF をベースにした新しい Quartz イメージングは、印刷とディスプレイ解像度を独立させる改良された WYSIWYG を含む多くの可能性を提供する。しかしこれについては多少疑念がある。HTML と JavaScript による制限された中にあっても、PDF は本当には開花しなかった。PDF では1Kのドキュメントが100Kにもなってしまうことがあり、インターネットには適さない部分がある。

OpenGL はゲームについて最高級のサポートを提供する。泡だけでなく、熱い性能が加わるわけだ。

ルック&フィールに直接影響するこれらすべての新しいテクノロジーは、日毎あるいは数時間毎に起きるシステムクラッシュの悪夢を終わらせるメモリ保護やプリエンプティブ・マルチタスキング機能と対になっているのだ。

マウスオーバー:必要な時にだけ表示される情報

OS X は、ウェブのインターフェイスで人気のあるマウスオーバー機能をうまく使っている。マウスオーバーは、必要な時にだけ情報を提示する方法だ。これは、必要な情報を提供しながらスクリーン上に散らかる要素を減らすためには有用であるが、そのためには用心深く上手に実装しなければならない。

<マウスオーバーの原則>

  1. そのシンボルを繰り返し見せられる、覚えやすい、そして絶えず装飾的で過剰に視覚化されているのでなければ、コントロールのシンボルを表示するべきである。
  2. 一度で決定にたどり着くために、必要な情報はすべて見えるようにする;ユーザが大きなスクリーンの中で手がかりを探し回るのを期待してはいけない。
  3. ユーザに“かくれんぼ”を強要してはいけない。あるオブジェクトに関する二次的な細目を隠すことはあっても、一番重要なディテールを隠してはいけない。アイコンが独自のもので覚えやすくくない限り、邪魔に感じたとしてもタイトルのような重要な情報を隠してはいけない。
  4. マウスオーバーによって個別のコントロールをライトアップする場合、ユーザがそのコントロールをクリックできる位置に入るまでそうしてはならない。

ある者は、新しいガムドロップ調ウィンドウコントロールの「x, +, -」といった「閉じる、最小化、最大化」を意味するシンボルがマウスオーバーの状態にある時にしか表示されないことを批判している。では、ガムドロップがどのように機能するかを見てみよう。

2分以上このガムドロップを使ってみれば、それぞれの色の意味を理解してしまうので、シンボルは必要なくなるだろう。(重度の色弱の者はボタンの位置関係を記憶する必要があるが、位置が常に固定されているのでそれほどの負担ではないだろう。)

マウスポインタがこれらのオブジェクトのひとつに重ねられると、3つすべてのオブジェクトにシンボルが表示され、すべての手がかりが明示される。

デモでは、コントロールがライトアップされるとすぐにクリックが可能になるのかどうかがはっきりしなかった。グループ全体がライトアップするため、ルール4はきちんと適用されていない。ただしこの場合、ライトアップされる部分はクリックできる領域と一致するとも言える。

マウスオーバーはスピードを上げエラーを軽減し、さらに学習させることができる。Apple は、後ろ側のウィンドウにあるグレイアウトされたガムドロップがマウスオーバーによってライトアップすることで、そのウインドウを全面に持ってこなくても閉じたりあるいは変更したりできることを示している。(従来のシステムでもこれは可能だが、私を含む少数の者しかそれについて知っていない。)ロールオーバーの機能は、ユーザにそれがアクティブなコントロールだと知らせるだけでなく、それまでには無かった、あるいは気づかなかった機能への可能性を示唆することができる。

マウスオーバーは危険を伴う。ルールが守られていなければ、ユーザビリティを損ねることになる。これについては後で述べる。

ガムドロップの奥行き感

上記のような長所にもかかわらず、現在のガムドロップは問題も含んでいる。

私は次の点に異論を唱えたい。色つきのガムドロップはくどい。まず、コントロールの配置と色調が適切ではない。(実際、この色調のコントラストは色弱の者のためにだけ注意深く選ばれている。)次に、シンボルを一度見てアクションとの関係を理解してしまえば、どのコントロールがどのシンボルなのかを忘れることはないだろうといことである。

それと同時に、この方式は間違った行動を起こさせやすく潜在的な危うさを持っている。一見、クローズボックスが赤く塗られているのはそれが危険性を表すという意味で良いことのように思われる。しかし、約10年前に Apple の行った研究では、ユーザのマウスはまるで磁力に取りつかれたように赤いオブジェクトへと引き寄せられるということが分かっている。この研究から、我々はクローズボックスとシステム終了の項目を赤くするというアイデアを断念したのだ。

次に、これらのシンボルはアクションに対して視覚的に矛盾がある。具体的に言うと「-」がドックで「+」がズームを表すのだということだ。ところが Macintosh のズームは両方向の動きをする。一度目のクリックはウィンドウを大きくし、同じオブジェクトに対する二度目のクリックはウインドウを小さくする。だから一度ウインドウを広げると、そのシンボルは虫眼鏡のシンボルがそうであるように「-」になるべきである。しかし「-」のサインはすでに「ドックに入れる」ためのボタンに使われてしまっているため、デザイナーは単にその問題を無視することに決め、欧米のほとんどで「拡大」の意味しか持たないシンボルを縮小のためのシンボルに使用したのだ。

ボタンの並び順もまた問題だ。あれでは現在のレイアウトとも Windows のそれとも異なっている。これは問題である。

これまでに聞いたその他の批判のうち、コントロールが近すぎるのではないかという点に関しては、私は容認している。Windows を使ったことのある人ならば、間違ったコントロールを押して作業完了の直前にアプリケーションを終了してしまうといったことがいかに簡単に起きるかを経験しているだろう。Apple はこのコントロールについて適切で十分なスペースを確保しており、さらにサイズも大きくなっているので、人々が予測するほどそういった種類のエラーは起こらないだろうと私は考える。オリジナルの配置のように「危険」なものをタイトルバーの片側に、「便利」なものをもう片側に配置する方法のほうがより分かりやすいのではあるが。

巨大なアイコンと小さなスクリーン

OS X のデモで我々がまず気づいたことは、ウインドウの中の巨大なアイコンである。これは純粋に妄想の産物である。デモでは、ひとつのウインドウの中にまったく異なる12種類のデータを雑然と並べていた。他人のシステムは知らないが、私のシステムの中ではどのフォルダにもひとつ以上の種類のデータを入れることはしない。もし個々のアイコンがすべて識別可能であれば、あのように小型車ほどの大きさのアイコンは必要としないだろう。それよりも、この Windows に支配された世界で必要なのはロングファイルネームだ。読者の Chris Hanson の指摘によれば、OS X ではついにロングファイルネームがサポートされるらしい。ロングファイルネームの使用は NextStep ではずっと可能であったし、OS 9 でもアプリケーションレベルでは可能だが、Finder が対応していなかった(確かめてみるといい)。必要なのはロングファイルネームであり、それに比べれば巨大なアイコンはあまり問題ではない。

熟練したユーザなら、デスクトップ以外でアイコン表示を使っている人は希だ。スクリーン上の土地は不足している。なぜって?今日のモニタ解像度は非常に高い(15年の間に....解像度は飛躍的に向上した)という Apple の見識に反して、ピクセル解像度自体はこの20年間、事実上変わっていない。

スクリーンのサイズは大きくなった。現在 Mac の平均的なスクリーンのサイズは初期のものにくらべて4から5倍である。一方で、平均的な Mac ユーザの扱う書類の数は、数十だったものが数千に増大している。(何か恐ろしいものを見てみたい時は、あなたのシステムフォルダ内にあるファイルの数を数えてみるといい。)

ダイナミックなアイコンやサムネールなど、24ビットへの移行は歓迎する。しかし巨大なサイズはほとんどのユーザとアプリケーションにとって無意味だ。たぶんあれはデモを魅力的にするために用いられたものであろうし、幸いなことに、サイズは初期設定により変更可能である。

NextStep ブラウザ

Apple は Finder を排除した。そう、Finder という名称は再製された NextStep ブラウザに使われるようになった。しかし我々が長年愛してきた Finder は、どこにもなくなってしまったようだ。

それが古くからの Mac ユーザにとって見慣れないものだとしても、彼らのやったことのすべてが悪というわけではない。例えば、Mac のデスクトップにおいてすべての不必要な親ウインドウを後ろに残しながら幾重にも入れ子になったフォルダ階層をたどっていく様子は醜い。(何人かの読者がオプション + クリックで後ろの親ウインドウを閉じながらウインドウを開けることを指摘してくれた。こんなトリックについては、16年間 Mac を使って Mac の仕事をしてきたのに、誰も教えてくれなかった。)

新しい「コラム表示」は、この問題をうまく解決している。そして、あなたが Finder で行うことのほとんどがフォルダ操作だとすれば、これは非常に便利である。

ところが、我々のようにコンピュータを酷使しているような者の多くは、ひとつの書類を探すのと同じぐらい頻繁に複数の書類を同時に操作しているものだ。今日の Finder は、同時に複数開けるウインドウ間のシンプルな空間概念によるドラッグ&ドロップを容易にしている。

この時ウインドウは、情報空間を移動する際の残骸ではなく、現在アクティブに使用しているコンテンツを含んでいるのだ。もし640 x 480 のスクリーンを使っているのなら、ひとつのウインドウ内での操作は便利かもしれない。しかし大きな(あるいは複数の)モニタを使っているのなら、ウインドウを複数同時に開ける機能を取り除くことは深刻な痛手になる。

もちろん、その辺りについてはまだ明らかにされていない方法があるのかもしれない。Steve は同時に複数のウインドウを開く手段があると言っていた。この機能の実装のされかたによって、良くも悪くもなるだろう。

Finder が世界にもたらしたのは、空間概念に関連させたファイルの保存方法である。この空間指向の外観はフォルダの中にフォルダを入れることができるというだけでなく、ウインドウのサイズ、形、そして中にあるオブジェクトの色や配置を元にそれを識別しやすくしているということである。これらがすべてなくなってしまうのなら、Finder のウインドウがいくつ開けるかなどは大した問題ではない。

人々が必要としているのは、好きなウインドウの中を進んでいきながら自動的に背後のウインドウを閉じる簡単で視覚的に明白な方法だ。

またとない機会

Apple がやろうとしていることは、10年前の NextStep インターフェイスを 20年前の Lisa-Macintosh インターフェイスに浸して、薄いキャンディでたっぷりと覆うことだ。欠けているのは、真に革新的な取り組みである。(これは Windows の外観を実際に Aqua 調にしてしまえるスキンが、Aqua が最初に披露されてから1週間以内にウェブに掲載されたことからも証明されている。)

Apple にとってこれは、過去16年間の内でインターフェイスに本当に効果的な変更を施すまたとない機会である。今の Windows を後目に、Macintosh によるユーザの生産性を飛躍的に押し上げる機会なのである。そのためには、Fitts の法則を論理的に実行することに尽力しなければならない。

Fitts の法則

Fitts の法則に従えば、より大きい標的はより速い補足と等しい。私のコラム「A Quiz Designed to Give You Fitts」でも書いたように、ディスプレイの四隅というものは、どんなに素早く動かされるマウスポインタでも停止させることができるため、無限の奥行きと“魔法の”可能性を持っているのである。

さらに、スクリーンの四隅には無限の奥行きがある。その理由は、例えば Mac のメニューバーは Windows のものよりもずっと素早く使うことができ、Windows のスクリーンの端に沈んでいるタスクバーがよく使われることからも分かる。

上端:メニューバー

メニューバーは常に一番上にある。しかし、その中身はばらばらにされた。Apple ロゴはメニューバーの中央に配置され、単純に不合理だ。我々はそれが Mac だとしっている。Apple ロゴはメニューの左に属すべきで、16年間そこで幸せに存在していた。ピカソまがいの忌まわしいスマイリーフェイスをやめて、元の場所に戻したほうがよい。

そうしたら、アプリケーション名をその隣、ファイルメニューの前に配置する。今日のインターフェイスでは、アクティブなアプリケーションの名前が遠く離れた右端に表示される。それはそれで OK だが、ほとんどの場合、ユーザがアプリケーション名を確認するのはこれから使おうとしているメニューが何のアプリケーションのものなのかを確かめるためなので、それには離れすぎている。

新しい外観では、知っての通り、Dock に起動中のアプリケーションをドキュメントと同じように置いておけるのだから、アプリケーション名はもう何の役にもたたないのかもしれない。(この手のシステムを私は Windows で4年間使用しているが、いまだに混乱している。これに慣れるまでには、まだあと5-6年かかるかもしれない。)

アプリケーション名に関しては2つの使われ方が考えられる:

アプリケーション名は、「ファイル」という言葉を置き換えることができる。ファイルメニューはアプリケーションの最上位の概念であり、「ファイル」という言葉をあらゆるコンピュータのあらゆるアプリケーションが使用しているのは少しやりすぎだ。

アプリケーション名は、Apple ロゴを置き換えることができる。アップルメニュー内の最初の1-2項目は普通アプリケーションに付随するものなので、それをずらすことは可能だろう。そして Apple ロゴは一番右端まで持っていき、普段 Dock を隠しておきたい人がそれを切り替えるために使用できるようにすればよい。(これについては後述する。)

右端:ツールバー

スクリーンの右端はこれまで何にも使われておらず、その伝統は OS X でも同じようだ。右端は、ツールバーに割り当てられるとよいだろう。そうすればはるかに高速なアクセスが可能になり、Windows のようなばかげた配置にするよりも Mac では2倍のスピードでツールにアクセスできるようになる。もちろん開発者は1-2ピクセルのフレームでもよいからクリック可能なエリアを設けて、ツールを右端に隠れるようにするべきだ。さもなければ、Fitts の法則の恩恵にあずかれない。

下端

今日の下端は、ポップアップウインドウとその内容の表示というすばらしい使われ方をしている。これは高速に機能し、おそらく250から5000ものアイテムにアクセスできるという密度ももっている。デモでみる限り OS X においてこの仕組みはどこかへ行ってしまったようだ。新しいシステムにおいてそれに取って代わるものがあるのならそれでもよい。だが私にはその形跡を見つけることができなかった。

だがポップアップウインドウが完全にうまく機能していたというわけでもない:間違って移動してしまったり開いてしまうことはよくあるし、開いたフォルダの後ろに隠れてしまったりする。そして勇敢にも CD-ROM から起動してシステムソフトウェアをアップグレードしようものなら、それらは半永久的に縮小されてしまう。このような予期しないことが起きると、もとの状態に戻すのは大変だ。全体として完璧ではなかったがこれは非常に良いアイデアだった。ところがこれの代わりとなるものは、間が抜けていてメリットのよく分からないもの:Dock だ。

Dock

デモにおける OS X はいくつものかわいらしい絵で満たされており、聴衆をよろこばせるためによくリハーサルされたそれらは、人形のようにインターフェイスのあちこちで踊っていた。こういった誇張によるもっとも有害な効果が、Microsoft のタスクバーをグラフィカルにした Dock に見られる。

最初に Dock を一目見ると、その意味ありげで魅力的なグラフィックは Microsoft のテキストで重苦しいやり方にくらべてずっとクールに見える。


デモにおける Dock

デモでは、いくつもの異なる見た目の書類の中から求めているものを正確に、簡単に取り出すことができると宣伝していた。しかし、“現実”において何が起きるかを考えてほしい。あなたがたくさんの MP3 ファイルを操作しているとしよう。すると Dock はこんなふうに見える:


もっと現実的な Dock

タイトルはどうなるのだろうか?それはどこにも見あたらない。なぜタイトルがないのか?なぜならタイトルは乱雑だし、この小綺麗なデモを台無しにしてしまうからだ!

アイコンをひとつずつ苦労してマウスオーバーすれば、タイトルを表示させることができる。私は三つのモニタを使用しているから、3.5フィート以上の Dock になってしまう。私はひとつの書類を見つけるためにそんな長さのものをなぞっていくつもりはない。Dock はルール3を破っており、大がかりな“かくれんぼ”を要求している。

一聞は百見に如かず

Dock は:

  1. スクリーンの左側をデフォルトの配置場所として、Fitts の法則を利用する。
  2. 入っているアイコンが少なく十分な場所を確保できるときだけアイコンを表示する。
  3. 固定されているべきで、デモのような飛び出しかたなどをするべきではない。
  4. Microsoft のタスクバーと同様、自動的に隠れる機能をつけるべきだ。しかしスクロールバーを押そうとするたびに飛び出てくる Microsoft のようなやり方ではなく、ユーザがマウスを一番上端の角に持っていったときにのみ機能するといったような正しいやり方で。
  5. ゴミ箱を含めるべきではない。(ゴミ箱は本来あるべきデスクトップに置かれるべきだ。)
  6. 常に書類のタイトルを表示すべきで、これが最も重要だ。

このような Dock なら17インチモニタで個々の識別要素(書類のタイトル)を持ちながら50以上のファイルを表示することができる。すばらしいことに、デモで見せたように派手にすることも可能だ。書類の数が少ない時には派手なアイコンが表示されるからだ。唯一の違いは、不気味に中央から周りに広がって密度が上がるたびに識別要素のない不明瞭なアイコンが縮小されていく代わりに、上から下に向かって伸びていきながら識別可能なテキストのラベルになることである。

また、Dock は Microsoft がすでにやってきたことを超えければならない。あなたがもしいくつもの書類やアプリケーションを同時に扱っているのであれば、Dock で必要なものを見つけるのは困難だ。人々はバーの内容を迅速に整理する方法を必要としている。または複数のバーを表示できるようにすべきだ。例えば、プロセスごと、書類ごと、といった具合に。これを実現するひとつの方法は、スクリーンの角によって違う Dock を呼び出せるようにすることだ。私ならたぶん、右上はアプリケーションバー、右下はドキュメントバー、そして左下はよく使う項目とするだろう。考えてみてほしい。

Fitts の「大きいこと」

Apple はいくつも散らばるウインドウを一掃したことによって、Fitts の法則についての理解が欠如していることを露見してしまった。つまり、大きなウインドウは最も簡単に当てることのできる標的なのだということ。ウインドウはひとつの大きなボタンのように機能し、ユーザのクリックによって書類間やアプリケーション間を迅速に行き来することを可能にする。ウインドウのように大きく装飾されたアイコンを紹介しながら、複数のウインドウをがらくたのように一掃してしまおうとするのは矛盾している。

“Fitts 的な”コントロールはいつもより迅速に機能する。コンテクストメニューは、円形か、逆ゾーンプレート状にすべき(そうすれば線を離して太くできる)だ。ボタンとアイコンは現実的な範囲で大きくし、可能であれば縁を太くしたほうがよい。

これは Dock に対する私の批判と矛盾するように見えるかもしれないが、Dock に対する私の不満は、少数のアイテムのために貴重なスクリーン上の土地を無闇に浪費しているというところにある。インターフェイスはバランスがとれていなければならない。様々なオブジェクトが太陽系のように均衡を保っていなければならない。

トーンダウンさせる

全体的に、このインターフェイスは上級者には押しつけがましい。それが意図されたことでないことを願う。それは省略されたキーボードや丸いマウスと同様に、Apple が今後プロフェッショナル向けのタワーを作らず、オールインワンまたは拡張スロットが少なく性能の低いミニタワーのマシンだけを提供していくと決めているのであればふさわしいのかもしれないが。

Apple によるグラフィックが常に注意を即しているような状況では、自分が作業しているグラフィックに集中することは難しい。もし Apple がプロフェッショナルの市場を取り戻そうとしているのなら、我々が見た Aqua よりももっとソフトで自然な“スキン”を提供すべきである。

独占状態にあるものとの比較

我々のように Macintosh に忠実な人々のうち、すべてではないにしろそのほとんどは、もうひとつのパートナーを強いられてきた。すくなくともオフィスでは。Mac と Windows を行ったり来たりするのは悲惨な経験だ。Apple はファイル保存やネットワークの部分で数年前からこの問題を認識し、両機種間で簡単にデータをやりとりできるようになった。しかし Apple のインターフェイスは違う。Apple が最初であり、それをうまく真似できなかった Microsoft がものごとを難しくしてしまったのだということに異論を唱えるものは少ないであろう。確かに Microsoft のものはできそこないだ。だが Micorosoft は戦争の勝者でもある。Apple は、Microsoft 支配の世界に生きる上での困難を増やすべきではない。

OS X は出口を提供している。ユーザは初期設定で、キーボードショートカットを Windows での習慣合わせてコントロールキーに割り当てることができる。しかしこの設定は、初期状態ではコントロールではなくコマンドキーに割り当てられている。ユーザが割り当てを変更すると、メニューバーや OS X 上のオンラインドキュメントの内容にも反映されるようにすべきだ。

ウィンドウのタイトルバーにあるガムドロップは、世界の人々の90%が慣れているように、右側に配置するのがよいかもしれない。これによって頑固な保守派を怒らせるようであれば、初期設定で左右を設定可能にすればよい。

ダイアログのデフォルトボタン(保存など)は左側に移動すべきかもしれない。それは本来あるべき場所ではないが、世界の90%の人々がそれに慣らされているのだ。

Apple は2ボタンマウスを完全にサポートし、2ボタンマウスを製造するサードパーティにコントロールキーを割り当てさせるのをやめるべきだ。(Apple は2ボタンマウスを提供すべきだ。しかしこれはまた別な議論であろう。)

Mac からの互換性

新しい Coke の失態からの教訓は、変化のための変更というものは忠実な顧客に良く受け取られないということだ。消費者がその忠誠心を明らかにするという意味で、Coke は数少ない商品のひとつだ。Mac の顧客は、少なくともそれど同程度忠実だし、あるいはさらに狂信的かもしれない。OS X はよりよい変更と進化の機会であるが、ちょっと良いアイデアに思えるというだけで人々を無理矢理それに従わせてはいけない。

OS X ではすでに多くのすばらしい仕事が成し遂げられている分、私は心配している。同時に、Finder の件はもっと論じられるべきだ。Apple のサイトで冗長に示唆されているように、もしほんの鼻薬の意味で Apple の伝統的な Finder のパワーが少しだけしか投影されなかったと人々が受け取ることになれば、Apple は重要な市場シェアを Windows に奪われることになるだろう。


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