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Column
2000.08.17

ウェブに関する基本的なメンタルモデル

今日の WWW の爆発的な普及は、1993年 NCSA の Marc Andreessen らによって開発された、インラインで画像を表示できるウェブブラウザ「NCSA Mosaic」の登場によってもたらされたと言われている。シンプルで使いやすいインターフェイスと、急激に表現力を増した HTML ベースのコンテンツは人々を楽しませ、その無限とも思える可能性に世界中で様々なビジネスプランが立ち上がった。

私がウェブのデザインを始めた1997頃はちょうど、それまで主にネットワーク関連のエンジニアが携わっていたウェブコンテンツ制作の世界に多くのデザイナーが参入しはじめていた。彼らの多くはグラフィックデザインを専門としながら DTP プロセスの導入によってはじめてコンピュータの楽しさを知った人たちだった。インターネット先進国のアメリカでは David Siegel 等がよりグラフィカルで自由にレイアウトされたウェブサイトの設計方法を次々と編みだし、たとえそれが HTML 本来のコンセプトからはずれたものだったとしても、「ウェブはデザインされるべきなのだ」という考え方を多くの企業やユーザに浸透させていった。

我々デザイナーは、色彩学の授業で習った配色法や、印刷の現場で覚えたタイポグラフィ、DTP で親しんだ Photoshop のスキルを総動員して、ただがむしゃらに「派手な」サイトをデザインしていったが、それと同時に何かいつも空虚なものを感じていた。それは、ウェブというものの理想型がさっぱり見えてこないために、デザインプロセスの中で繰り返す膨大なトレードオフについて、根拠ある判断基準がいつも存在しないということだった。別な言い方をすれば、新しいメディアとして注目を浴びるウェブというものについての共通した価値観を誰も持ち得ておらず、自分の作っているウェブというものが一体突き詰めれば何なのかという疑問をいつも抱きながら作業をしなければいけなかったのである。

ウェブとは何か

もちろんウェブの本質や理想の形態を一言で言うのは難しいし、常に変化していくものなので、一概に定義することにはあまり意味がない。だがこの3年ほどの間に、一般的なユーザの頭の中で「ウェブ」というものに対するイメージが徐々にはっきりとしてきたのは事実のようだ。以下に、これまでユーザに対して行ったいくつかのアンケートから、一般的な(中級レベルの)ユーザがイメージしているウェブというものについて考えたい。

不安定

WWW はオンラインメディアなので、インターネットに接続している状態でしか直接に利用することができない。多くのユーザは今自分がオンラインであるかどうかを常に意識しながらウェブサイトを閲覧するので、強いモード感をいつも感じている。また、CD やビデオのように物理的にメディアを所有することができないため、気に入ったウェブサイトを見つけてもそれに対する所有欲をうまく満たすことができない。

気に入ったウェブを自分のものにできないと感じるのにはもうひとつ理由がある。それは、特定の URL に対応するファイルがしばしばその内容を変化させることである。人気のあるウェブサイトは必ず頻繁に更新されており、即時性と更新こそがウェブの特徴だと考えるユーザは非常に多い。ユーザは新しい刺激を求め、知識欲を満たそうとする。しかしその一方、ブックマークしておいた有用な情報がある日突然削除されていたり、別な URL に移動されていたりして困った経験は誰もが持っている。そのため、WWW 上のファイルは一度公開したら半永久的に固定されて存在しているべきだと考える者も多い。

いずれにしろ、書斎の本棚に大切に所有している大百科事典と違い、いつでも参照可能な信頼できる資料のようには感じていない。

遅い

多くのユーザは一般電話回線を使ったダイアルアップ接続でウェブを利用している。また、オフィスなどで比較的通信速度の速い環境にいる場合であっても、平均的なウェブサイトのダウンロードとブラウザのレンダリングは決して十分に高速だとは言えない。ユーザが快適に情報を扱えるようにするためには、ユーザが自分の意志で直接対象のオブジェクトを操作しているような感覚「直接操作感」を与えることが重要であり、そのためには、ユーザのアクションに対するシステム側のフィードバックが0.1〜1秒以内に起こされなければいけない。または、ウェブのダウンロードに待たされるということについて「どこか遠いところからデータを転送している」といったメンタルモデルが浸透している現在であっても、その時間がかかればかかるほど、その情報が「遠い」存在に感じられてしまうため、コンテンツに対する信頼感は下がり、内容に集中するのに必要なストレスは増大する。

ページ

WWW 上のドキュメントのほとんどは、HTML というという簡単な文書構造記述方式を使って書かれたテキストファイルである。ブラウザは一度にひとつの HTML ファイルを読み込んで、その内容を各ブラウザの方式でレンダリングし、表示する。また HTML では、文書の特定箇所にハイパーリンクを設定して他のリソースと関連づけることができる。一般的なブラウザでは、ハイパーリンクされたテキストの箇所はユーザがクリックできるようになっており、GUI におけるボタンのように働いて、そこで指定された他の URL へのリクエストをサーバに送り、次のファイルをダウンロードする。またウェブはコンテンツ中心のメディアであるために、紙媒体におけるグラフィックデザインの手法を取り入れてビジュアル化されることが多いため、ページという言葉は無理なく浸透してきた。

実際、スタティックな HTML がサーバの中に格納されているというウェブサイトの運営方法が一般的であるが、CGI などによってダイナミックに HTML が生成されるようなシステムも、BBS や 検索機能、オンラインショッピングサイトや情報量の多い大規模サイトなどで頻繁に構築されるようになっている。こういった種類のウェブは「ページ」という感覚よりも、刻一刻と内容を変化させる放送メディアや、特定の機能を提供するためのアプリケーションソフトウェアといった感覚に近い。そのためユーザは、ウェブ上での情報の切り口に対して統一したメンタルモデルを形成することができず、なんとなくいつもその場の雰囲気で使わざるを得ないのである。一度学習した操作方法を新しいシステムの操作に流用するということは、あまり期待できない。逆に言えば、それが論理的でないとしても、すでに一般的に受け入れられているインターフェイス要素(ECサイトにおけるショッピングカートなど)やナビゲーション方法(ヘッダ部分やページ左側にメインカテゴリーを並べるなど)を把握し、再利用するというのは、混乱の少ないウェブインターフェイスを設計する上で重要なことである。

ホーム

サイトの情報構造の一番上位にあたるページは「ホーム」と呼ばれ、サイト全体のインデックス、最新情報のプロモーション、ブランディングやビジュアルアイデンティファイなどの役割を果たしている。通常あるウェブサイトの存在を告知する場合は、この「ホーム」ページの URL を用いることになっており、作る側も、ユーザが最初に目にするのは「ホーム」なのだという前提のもとに情報構造を設計している。

「ホーム」という言葉がなぜ使われるようになったのかを私は知らない。だが古くからの Macintosh ユーザは、「ホーム」という言葉から HyperCard を思い浮かべるのではないだろうか。 カード型のデータベースと HyperTalk というスクリプティング言語を使って、誰でも簡単にマルチメディアオーサリングができるというこのアプリケーションは、初期の Macintosh 用プログラムの開発に大きく貢献した Bill Atkinson が作ったことでも知られている。HyperCard では、テキスト、画像、サウンド、ムービーといったファイルを扱うことができ、実用的な情報管理プログラムからアドベンチャーゲームまで、様々な目的で利用されてきた。HyperCard では、データベースの単位を「スタック」と呼び、スタックを構成するレコードを「カード」と呼んでいる。各カード同士は高度な条件分岐を伴いながらハイパーリンクすることが可能で、ボタンやメニューといった GUI の基本要素を自由に配置することもできる。複数のスタック間をハイパーリンクさせることももちろん可能で、どのスタックを利用している時でもすぐに戻ることができる特別な基本スタックのことを「ホーム」と称し、通常それを「家」のアイコンで表現していた。

OS(Macintosh)とうまく連係させながらユーザのアクションに対する動作を自由に制御できるという点を除けば、HyperCard 作品の持つ操作感はウェブのそれと非常によく似ている。

ナビゲーション

1989年に Tim Berners-Lee が WWW を作ったときに、ウェブの利用方法について具体的にどのようなメンタルモデルを持っていたのかは分からないが、現在の WWW は、同じサーバ内にあるいくつかのドキュメントが集合したウェブサイトという構造物の集まりとして認識されている。そして各ページには、固有のドキュメントとして持っている内容物(主にテキストと画像)があり、また同時に、ナビゲーションと呼ばれる、サイト内の情報構造にそってユーザを導くための操作エリアがインターフェイスの一部分として配置されているのが普通である。ユーザはそのナビゲーション部分を見て、サイト全体の構造や自分の操作の方向を判断する。ナビゲーションのエリアには、階層化されたサイト内の情報をいくつかに分類した項目名が並んでおり、そのうちのどれかをクリックすると、ディレクトリに分けられたサブサイトのトップページにジャンプするという仕組みになっていることが多い。

ブラウザ

これまでほとんどのユーザは、ウェブを WWW ブラウザのウインドウの中に表示されるものとして認識してきた。代表的なブラウザは、Netscape Navigator と Microsoft Internet Explorer である。WWWブラウザは主に Macintosh や Windows などのデスクトップメタファーを基調とした GUI 環境の上で使用されるため、他のアプリケーションのインターフェイス(ウインドウやボタン)に似た外観を実装している。

Studio Archetype (Clement Mok 率いる総合ビジネスデザイン会社-現在は EC 関連のシステムを主に設計・コンサルティングする Sapient と合併)の作品などに代表された、いわゆるシェル型サイトでは、二次元上での情報の区切りや重要度、関連性などを表すために、ウインドウのフレームを連想させるような罫線やオブジェクトの重なり具合を表現するドロップシャドウを多様して一世を風靡した。それらはウェブサイトに統一されたブランドイメージと安定感をもたらし、複雑な情報構造を GUI 的な手法で表現することによって「企業らしいウェブ」のスタンダードを築き上げた。

しかしこの GUI 的な表現手法は、ユーザのウェブに対するメンタルモデルを混乱させる原因にもなっている。ウェブサイトのインターフェイスが規則性を持つようきちんとデザインされると、それは小さなデスクトップのような存在になる。いつも同じ場所にあるナビゲーションバーやビジュアルコンセプトの統一されたボタンなどの要素は、サイト内で論理的に配置されることによってひとつの操作体系を作りだし、ユーザはその世界の中だけでタスクを完結させたいと思うようになる。だが実際には、その世界はブラウザという操作体系の内側に表示されているに過ぎず、さらにそのブラウザはデスクトップというシェルの中に存在しているのである。この深い入れ子の状況は、同時に進行する複数のモードを管理しているようなストレスをユーザに与えてしまう。

例えば IBM のようなシェル型サイトでは、上部に常にナビゲーションボタンがあり、いつもそこにある変化しない要素として存在することで逆に変化する部分を明確にするという GUI 的なインターフェイス手法を使っている。このように、ユーザの連続的な操作にそって見た目の一部を変化させていき、現在の状況を視覚的に表現するという方法は、(もし高速なフィードバックが得られるのなら)非常に直観的で優れたインターフェイスデザインと言えるだろう。だがウェブにおいては、変化しない部分(デスクトップ的役割)と変化する部分(操作対象)という関係が簡単に崩れてしまうことがある。「リンクを別ウインドウで開く」という操作をしてみればいい。GUI における物理的基盤として配置されているはずのナビゲーションヘッダが、別ウインドウと共に同時に複数存在してしまうというのはどうしたことか。これは仮装の物理法則に反する認知上の問題を発生させる。また、ユーザの操作に応じた変化を視覚的に確認させる(現在見ているセクションのボタンをハイライトさせるなど)ような場合も、外部のサイトから突然そこに訪れたユーザにとっては、それは一定操作を経た「状況」ではなく最初に表示される初期状態として認識されてしまう恐れがあるのだ。

地理的移動概念

一般的なブラウザには「戻る」と「進む」という左右に向いた矢印の絵のついたボタンがある。そのために、ウェブのユーザは自分がインターネットの中を「移動している」という強いメンタルモデルを持つようになってしまった。ユーザは自分の部屋に居ながらにして、世界中を渡り歩いているような感覚を持っている。だがこのことはウェブのユーザビリティを考える我々にとって非常に深刻で、ある意味致命的な問題である。

ユーザは移動してはいない。ユーザはコンピュータの前に座って、世界中にある情報を自分のコンピュータに「呼び出している」のだ。動いているのは自分ではなく、情報の方なのだ。そのようなモデルがユーザの中に生まれていれば、ウェブのデザインはどれだけ楽だっただろうか。特にシェル型サイトに置いては、GUI 的なインターフェイスを備えているので、一般的なアプリケーションの動作に似せた視覚的変化を狙っていることが多い。そこで、一般的なユーザがウェブに対して持っている「地理的移動概念」と GUI の操作感覚との間に矛盾が生じることになる。

GUI には視覚的に安定した拠り所が必要だ。Macintosh ではデスクトップやメニューバーがそれにあたる。それらの基盤の上で、フォルダやファイルやウインドウを自由に移動したり開いたりすることができる。ユーザは自分の意志で情報を直接操作しているような感覚を持つのである。だがウェブでは情報を直接操作するどころか、自分の方が対象の情報に近づいたり遠ざかったりしているような感覚を持つことになる。これでは本当にユーザビリティの高いオンラインサービスを構築することはできない。

更にやっかいなことに、ブラウザの「戻る」と「進む」のボタンは、ユーザの地理的移動概念に一致した機能を提供しているわけではない。「戻る」と「進む」はユーザの連続した操作という時間軸を前後する機能なのであり、ユーザが通過した場所の奇跡を前後する機能ではない。例えばある分岐点からリンク先のひとつ[A]に進み、「戻る」ボタンを使って分岐点に戻る。そして今度は別のリンク先[B]に進む。するともう「戻る」ボタンでは[A]に行くことができない。一度「戻る」ボタンを使ったことによって時間軸上を一操作分戻ったことになり、もともと[A]には行っていないことになってしまうのだ。

だがこの機能自体は別に新しいものではない。Macintosh や Windows の操作に慣れたユーザにとっては、もっと分かりやすい概念がすでにある。「Undo」と「Redo」である。もし Mosaic のインターフェイスデザイナーが「戻る」「進む」のかわりに「取り消し」「やり直し」というラベルでこの機能を実装していたら、ウェブ利用に関するユーザのメンタルモデルはまるで違ったものになっていたかもしれない。そして時間軸という、ユーザエクスペリエンスを考えるために非常に重要な要素を、ウェブおよびオンラインサービスのシステムを開発する多くの人間が無理なく取り入れていくことができたはずなのだ。

地道な作業

こういったウェブに対するメンタルモデルは全て、今後さまざまなプラットフォームでウェブが利用されるようになるにしたがい、急速に変化していくものと思われる。実際のところ、携帯電話でのウェブ利用に対するユーザの感覚には、上記のほとんどがあてはまらなくなっている。ある機能の新しい使われ方が次第に一般的になることで自然に解決される問題もあれば、また新たな問題も常に発生する。そういった中で、我々は問題点を指摘するだけではいけない。それと同じスピードでいつも最適な妥協点や別のアイデアを見つけていかなければならないのだ。そしてその地道な作業はあまり評価されないものだ。広げるのは簡単であるが、一度ちらかった物をきちんとしまうのはとても難しいことであるのに。


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